雑記ブログ

~中途半端で生煮えな知識でドヤります~

映画『ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE』心に残る映画の条件

映画『ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE』を観た。アクションの見せ場が多く、観客を飽きさせないシーンの連続で楽しめた。自分にとって、ミッション:インポッシブルシリーズは、大好きな映画だ。

ただ、あるシーンで、もやもやしてしまった。その原因を、このブログで整理したい。

心に残る映画の条件とは

自分は映画を観るときに、2つの条件を満たした作品であるかを意識している。
以下の条件を満たしていれば、必然的に自分にとって心に残る映画になっている。

条件① 階段を昇れる映画であるか
条件② 暗黙の約束事を守る映画であるか

この条件は、自分のオリジナルではなく、ジブリのインタビュー本『風の変える場所 ナウシカから千尋までの軌跡』で宮崎駿監督のある発言に基づいている。

僕(宮崎監督)がチャップリンの映画が一番好きなのは、なんか間口が広いんだけど、入っていくうちにいつの間にか階段を昇っちゃうんですよね。なんかこう妙に清められた気持ちになったりね(笑)

これが条件①の裏付けとなる発言である。映画を観たことで、楽しかった、面白かった、興味深かった、勉強になった、という感想に加えて、心が満たされたり、前向きな気持ちになって、明日からの自分の生き方を変えようと不思議な感覚を覚えることはないだろうか。「階段を昇れる」というのは、そういった感覚を指すと自分は理解している。つまりは、条件①を満たす映画とは、自分の行動を持続的に変えてしまう映画のことだと思っている。

約束事のない映画ってないですよ、ね?例えば『ドラえもん』の絵を観た瞬間にね、これはリラックスして観ましょう、難しいことを言うのはやめましょう、そのレベルで観ましょうっていうふうにね。あらゆる作品が全部始まったとたんに、あるいは始まる前から暗黙の約束事を要求するんです。ただ、自分が『このレベルで嘘をつきますって決めたときに、そのレベルの嘘を守ることですよね。』

これが条件②の裏付けとなる発言である。また、冒険活劇を作る人間は神経を遣わなくてはいけないところ、と述べている。この発言は、いわゆるご都合主義的な映画のことを指摘していると解釈している。観客は、一度だけでも違和感を抱いてしまうシーンがあると、映画全体の魅力が一気に失ってしまう。

さて、『ミッション:インポッシブル デッドレコニング PART ONE』は、どうなのか。

ミッション:インポッシブル』は、約束事を守ったのか

条件①:小さな段差かもしれないが階段を昇れた

まず、条件①を満たしているかを客観的に判断するのは難しい。個々の観客の境遇や影響されるものだと思う。ただ、私事ではあるが、これまでの『ミッション:インポッシブル』シリーズを観て、週3回程ジムでの体力づくりを始めるきっかけになったと感じている。純粋にトム・クルーズ演じるイーサンの活躍にあこがれたのだ。自分は、30代後半だけど、年齢は気にしない。

また、ランニング中は、この映画のテーマ曲を聴き、やる気を奮い起こしている。一過性のエンターテイメントではない要素がこの映画にはある。自分にとっては、少なからず条件①を満たしているといえる。

条件②:約束事を守ってくれなかった

では、条件②はどうだろうか。自分のもやもやした気持ちは、この点にある。あるシーンで約束事を守れなかったため、心に残る映画ではなくなってしまった。残念である。

問題のシーンは、物語のクライマックスとなる列車の中での出来事である。ヒロイン(ヘイリー・アトウェル)が、列車の中で敵に銃で殺されそうになる瞬間、イーサン・ハント(トム・クルーズ)が操るパラシュートが、偶然にもヒロインの乗っていた車両に突っ込んで敵を倒したシーンである。

トム・クルーズは、パラシュートが偶然にも、敵に倒したように演じていた。「偶然にも」という演技がいけなかった。これにより、この映画の約束事を破ってしまったと思う。

もともと、この映画は現実的ではなく突っ込みどころのあるシーンが多い。でも、そういったシーンには、登場人物の「意志の存在」があった。この映画は、登場人物が、果敢にミッションに挑み、強い意志を持って、不可能を可能にすることに、おもしろさがある。もし、トム・クルーズが、意志を持って、あの車両に突っ込んだのであれば、何の違和感もなかった。「強い意志により不可能を可能にすること」がこの映画の約束事だからだ。

今回のシーンでは、偶然だったことがいけなかったのだ。ただでさえ、崖からパラシュートで列車の中に潜入する行為が困難なことなのに、危機一髪ヒロインを助けられるタイミングでパラシュートが突っ込めるものだろうか。まず、ありえないだろう。偶然ではいけないのだ。意志の存在があれば、どんなありえないシーンでも許容できる約束事があったのに。

このシーンがあったために、『ミッション:インポッシブル』シリーズの世界観が一気に崩れてしまった。
PART2を自分はどのような気持ちで観れば良いのか、気持ちに迷いが生じている。
そして、これからは、過去作をどのような気持ちで観れば良いのだろうか。